映画秘宝にあやかる

 映画秘宝のアレに触発されてオールタイムベストを考えた。

 「映画に順位なんてつけるべきではない!」とも思うんだけど、こういったベストを見るのは楽しいし、作るのも楽しい。

 「オールタイムベスト」には自己紹介的な意味合いが強く含まれる。それは、自分はこういった人間ですよ、という表明にほかならない。自己紹介的意味合いがあるからこそ、「オールタイムベスト」は外部の目線を意識して編まれる。だからそこには当然「他者からこのように見られたい」という願望が(多かれ少なかれ)反映されているはずだ。そして僕のベストもそうした願望から逃れることはできていない。そういったところも含めて他人のオールタイムベストは面白いと思う。

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『オリヴァー・ツイスト』 チャールズ・ディケンズ

『オリヴァーツイスト』を読んだ。

なにげにディケンズの作品をちゃんと読むには初めて。

小学生の時にポランスキーが監督した『オリバーツイスト』は見たことがあったけど。

オリヴァー・ツイスト (新潮文庫)

オリヴァー・ツイスト (新潮文庫)

 

 ざっくり言うと「かわいそう」な孤児のオリヴァーがロンドンの貧民街で犯罪集団の仲間に加わってなんやかんやするお話。「果たしてオリヴァーがそこから抜け出すことが出来るのか」というのが話の焦点になってくる。そこにオリヴァーの出生の秘密が絡んできたり。

 

 オリヴァーは容姿端麗で(その育った環境の劣悪さにも関わらず)根っから純粋な存在として描かれる(めちゃいい子ちゃん)。彼は主人公のはずなんだけど、周りに流されてばかりだしセリフは少ない(実際、物語後半はほとんど本筋からフェードアウトしていく)。有名な「おかわりを求める」場面でもオリヴァーはくじで選ばれただけで能動的に行動したわけじゃない。要するに彼は徹底的にナルシスティックな感情移入の対象としての主人公なのである。「かわいそう」なオリヴァーの目線で不幸な人生を追体験するのがこの小説のウリなのだ。砕けた言い方をすると「悲劇のヒロイン」ぶる楽しさ、みたいなものがここにはある。

 

 物語の全体を通して、貧民街の生活と上流階級の生活が対照的に描かれる(ご丁寧に登場人物も対照的に配置されている)。オリヴァーはその間を行き来することになるのだけれど、上流階級の、紳士淑女たちの生活描写は退屈極まりない。当たり前の話だけど、道徳的な(それも極めてヴィクトリア朝的な)「良い人」たちの間のお話が面白いわけもない。反対にオリヴァーの目を通してみる貧民街の描写は頗る面白い。キャラクターたちはどれも活き活きしているし、犯罪集団の親玉フェイギンの人物造形も最高(オールティックの『ヴィクトリア朝の緋色の研究』の中で、ディケンズの作品が犯罪を誘発するものだとして非難に晒されたという記述があった気がするけど、こういう部分を読めばさもありなんと思う)。

 

 この作品のテーマは新救貧法に対する批判らしい。けれどディケンズがこの作品を通して社会悪を弾劾したかったのだったら、その試みは失敗しているのではないかと思う。物語の結末でオリヴァーが幸せな生活を手に入れたとしても社会は何も変わっていない。それに、ロンドンの貧民街の人間を悪く描く一方で、お金持ちたちは良い人に描かれる。フェイギンたちが犯罪に手を染めるようになった背景なんかも語られない。善悪二元論のわかりやすい世界観。問題意識の浅さを感じてしまった。

 

 さっきちょっと書いたけど、物語が終わりに近づくにつれてオリヴァーの出番はどんどん減っていく。お話を畳もうとして、主人公の出生の秘密に迫る場面が増えていくので当然といえば当然なんだけど、単純にプロットが上手くないと思った。物語の悪役であるはずのサイクスと、オリヴァーの出生の謎が物語後半の推進力……なんだけど正直前半ほどの面白さはない。

 とはいえ個々の場面場面の描写には眼を見張るものがある(特にフェイギンに絞首刑が宣告される場面とか)し、皮肉が効きまくった文章も愉快この上ない。通俗小説としての愉しみがいっぱい詰まってて楽しかった。

個人的には、ロンドンの下層社会を逞しく生き抜く悪ガキが階級社会に中指を突き立てる!みたいなお話のが好きだけど。

※この新潮文庫の新訳にはチェスタトンの解説が収録されている。これがなかなか良い。訳文自体は多少ぎこちないところもあるけど問題ないレベル。

『ラ・ラ・ランド』レビュー

※多分ネタバレなし

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 音楽踊りが非日常を引き寄せ、人々をハイウェイでの渋滞という拘束状態から解放するオープニングシークエンスは、これ以上ないほどに開放感、幸福感に満ち溢れています。
 この束の間のユートピアは無名の人々によって成り立っていますが、まるで彼らの意思の疎通を遮るものなど何も存在しないかのように人々は一体感に満ちています。そこにいる人々が無名の大衆であり彼らの人種や年齢が多岐に渡っていることで、観客は「自分もスクリーンの中に入って彼らと一緒に歌って踊りたい!」と思うでしょう。主役が不在であることがこの真に祝祭的なオープニングを可能にしています(カラフルな色彩も一々華やかで楽しいです)。まさしく「純ミュージカル映画的な」シークエンスだと言えるのではないでしょうか。

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