Mollusk

集積所。

「紙の束」に纏わる神話

書店で発見。なんで本でこんなことするの?? 生理的にこれは受け付けられないな…胸が痛い。。 pic.twitter.com/HbPP5mUF4n — 武田 俊 / Shun TAKEDA (@stakeda) 2023年10月25日 ある広告*1の中のハートの形に折り曲げられた本。それに対する嫌悪感を表明す…

ありふれた奇跡に賭ける

読書という選択肢を他人に提案することは、時に暴力的でさえある。世の中には本を読むことが苦手な人がいて、そのような人たちにとって上記のような提言は極めてエリート主義的に聞こえるだろう(そしてそのような人たちの数は極めて多い)。プロのマラソン…

椅子を買った話。

午前中に椅子が届いた。数日前にAmazonで注文したものだ。集中して本を読むためにはちゃんとした椅子が必要だと考えて、購入したのだ。 今の住居には座椅子はあるが、その上では読書に集中できない。理由の一つは、その座椅子に肘掛けにあたる部分が備わって…

小さな革命の実践

横道誠『みんな水の中』と綾屋紗月、熊谷晋一郎『発達障害当事者研究』を読んだ。発達障害の当事者が、「自身の接している世界がどのようなものであるのか」について、経験を交えながら書いた本である。ユクスキュルの「環世界」の概念を引くまでもなく、同…

日記(23-07-27)

今朝は少し頭痛を感じながら起きた。シャワーを浴びて出かける準備をした。目的地に着く頃には、身体が怠さを自覚し始める。鼻水が止まらない。くしゃみが15〜20分ほどおきに出る。症状を自覚すればするほどに体調が悪くなる。風邪をひいたようだ。 ここ一ヶ…

日記(2023-07-23)

外出するときは必ず複数冊の本を持って行く。外出先で手持ち無沙汰になった時(ちょっとした待ち時間や公共交通機関での移動時間)に、手元に何も読むものがないと言う状況は望ましくない。なぜ複数冊の本を持っていくかというと、その時々の気分によって読…

日記(20-07-20)

依然東京。カプセルホテルにて8時ごろ起床。荷物をまとめてホテルを出る。ドトールでバザンの『映画とは何か』を読みながらダラダラとモーニングを食べる。 その後、東京都現代美術館で開催されているデイヴィッド・ホックニー展を見る。几帳面なまでに整然…

日記(23-07-19)

依然東京。カプセルホテルにて9時ごろ起床。ラウンジにて、オロナミンCを飲みながら朝のニュースを眺める。10時ごろドトールに向かう。朝ご飯にモーニングセットを頼む。アイスコーヒーをちまちま飲みながら、昨日買った『母性という神話』を40ページほど読…

日記(23-07-18)

前日23時発の夜行バスに乗り東京へ。6時ごろに東京に着く。走行中のバスの中は目を瞑ってやり過ごした。あまりの睡眠不足のためバスターミナルの休憩所で2時間ほど仮眠。とは言うものの5分おきに起きて荷物が手元にあるかどうか確認してしまう。8時半ごろ、…

砂漠に揺蕩うアイデンティティ、あるいは『アラビアのロレンス』について

古典は、しばしば古典であるが故に、実体とイメージとの乖離を引き起こす。古典であることによって人々の間で膨らんだ作品のイメージは、その作品の実体の特殊性を捨象し平板化したものに過ぎない。 『アラビアのロレンス(1962)』もそうしたイメージが…

日記(23-07-15)

7年ぶりに友人と会った。顔を合わせていない間も断続的に連絡は取っていた。とはいえ、7年という歳月は人を変えるには充分な期間だ。7年で僕は資本主義を憎むようになり、その憎しみと比例するかのように肉体はぶくぶくと肥え太っていった。友人は記憶の中の…

ショットの狭間に潜む悪魔

とても優れた映画学者/批評家の加藤幹郎は、その著書、『鏡の迷路』の中で「一本のフィルムをその画面の密度にしたがって記述すること」を試みた。そこでは、「映画史上もっとも密度の低い画面ともっとも密度の高い画面」を標定し、「すべてのフィルムがそ…

速さの外に身を置くこと。

基本的に本を読むという行為は孤独なものだ。本を読む時、人は内省的にならざるを得ない。今、「本」という言葉を使用した。「本」と一口に言っても、現代の日本においてその内実は多岐にわたる。資格試験のための参考書や料理本、ファッション雑誌なども当…

特殊から普遍へ

一ヶ月ほど前、このようなニュースがあった。 www.independent.co.uk記事では、ディズニー社が何の説明もなく『フレンチ・コネクション(1971)』の一部シーンに「検閲」を行い(粗い)編集を施したことが報道されている。問題となるシーンでは、刑事の“ポパイ…

日記(2023-07-11)

朝、通勤のためにバスに乗る。バスの天井近くの湾曲部には広告が所狭しと貼られている。その中に(おそらく児童が書いたでだろう)習字作品があった。ざっと目を通すと、「登る」「成長」「光」などの文字が並んでいる。文字の選択の背景にある種のイデオロ…

日記(23-07-10)

最近は特に何もやる気が起きない日が多い。そういう日は徒に何かをしようとはせずに、ダラダラしている。具体的には何回も見たYouTubeの動画を眺めたりしている。何回も見ているだけあって内容が頭にスッと入ってくる気がする。しかしこれはただの確認作業で…

日記(23-07-08)

起きたら23時。流石に時計を二度見する。昨日就寝したのが1時ごろだったはずなので、ほぼ丸一日寝ていたことになる。僕にとっての7月8日は一時間しか残されていない。逆に言えば、この一時間をどう使うかで今日と言う日が決まる。いや、どうあがいても一日を…

日記(23-07-07)

今日は6時に起きた。そのまま朝ご飯に、蒟蒻ゼリー(凍らせたもの)を食べる。口の中にジャリジャリ、にゅまにゅまとした食感が広がり楽しい。あまりに楽しいので食べ過ぎてしまう。そのまま急激な眠気が襲ってきて布団に倒れ込む。起きたら17時。まだ慌てる…

日記(23-07-05)

カプセルホテルにて6時半ごろ起床。そのまま朝食を食べに行く。焼き魚や味噌汁などが並ぶ、朝食らしい朝食を食べたのは久しぶりかもしれない。朝から健康的なご飯が食べられて嬉しい。 朝風呂。体を洗ってから湯船に浸かる。まだ朝も早いため他のお客さんが…

日記(23-07-04)

なぜか早朝の2時ごろに目が覚める。眠くなる気配がないのでそのまま起き続けることにする。本を読んだり、シャワーを浴びていると、あっという間に6時。いそいそと出かける準備をする。今日は大阪で友人と会う予定がある。夜はそのまま大阪に泊まる。忘れ物…

日記(23-07-03)

今日は晴れ。暑い。しかも湿度が高い。蒸し暑い。 ようやく精神科に行くことができた。待合室で本を読みながら名前が呼ばれるのを待つ。20分ほどしたところで名前を呼ばれる。診察室に向かう。診察室では机を介して面と向かって、医者と話をする。毎度の事な…

日記(23-07-02)

労働の後に本屋に寄った。お目当ての本を見つける。パラパラとめくり、内容を何となく把握する。家にはまだ読んでいない本がたくさんあり、その事実が購入を躊躇させる。しかし躊躇したのも束の間、本を片手に抱えながら、なぜか足がレジに向かっている。ほ…

日記(23-07-01)

7月になった、と考えるだけでとても夏が来た感じが増す。しかしまだまだ梅雨は明けておらず。自分の住んでいる地域では雨が降ったり止んだりの日々だ。 今日も予報では一日中雨が降る、とのことだった。しかし実際には分厚い雲が空を覆い、我々を威嚇してい…

日記(23-06-30)

今日は檜垣立哉の『ドゥルーズ入門 (ちくま新書)』を読んでいた。ドゥルーズの初期を代表する著作である『差異と反復』『意味の論理学』の読解を中心に据えたドゥルーズ思想への入門書だ。しかし、入門という看板にも関わらず、本書の文章の記述は難解を極め…

日記(23-06-29)

昨日は日記を書きそびれた。別に毎日日記を書くという決まりを設けた覚えはないけれど。まあ昨日は全てが面倒臭く思える日だったので仕方ない。そういう時もある。いや、そういう時の方が多いか。 身体にかかる重力をいつもよりはっきりと感じる日だった。雨…

日記(23-06-27)

今日はAmazonで頼んでいた本が3冊も届いた。『アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男 (筑摩選書)』『社会心理学講義 ──<閉ざされた社会>と<開かれた社会> (筑摩選書)』『写真の理論』の3冊。 『アナキスト民俗学』は「全く新しい柳田像を提示した、画…

日記(23-06-26)

今日は読書会を行った。参加者は六名(内一人欠席)。フーコーの『言葉と物』を、一節ずつちまちまと読み進める。一回の読書会にかかる時間は2〜3時間ほどだ。 事前準備なし。その場でテクストを読んで内容について不明瞭な点を議論しながら詰めていく、とい…

日記(23-06-25)

今日は外出をした。見慣れ飽きた自室とは異なり、外の世界は情報に満ちている。それらの情報の全てを真正面から受け止めたとしたら、人は、たちまちとてつもない疲労感に襲われることになるだろう(もしかしたら発狂してしまうかもしれない)。だからこそ人…

日記(23-06-24)

今日は何もせずに過ごした。無為の日。とはいえ本当に何もしなかったわけではない。人間が何も為さなくなるのは、その人間が死んだ時だろう。ということで何もしなかった日でも、自分は色々なこと(呼吸や、排便、睡眠など)を行っている。生きている限り「…

日記(23-06-23)

昔から自分のことについて書くことに(そしてその文章を公にすることに)抵抗がある。基本的に自分は凡庸な人間だと思う。そのため「自分のこと」について書いた文章が面白いものになるとは思えない。しかし、別に面白い文章を書かなければいけない、という…