Mollusk

集積所。

日記(2023-07-11)

朝、通勤のためにバスに乗る。バスの天井近くの湾曲部には広告が所狭しと貼られている。その中に(おそらく児童が書いたでだろう)習字作品があった。ざっと目を通すと、「登る」「成長」「光」などの文字が並んでいる。文字の選択の背景にある種のイデオロギーが感じられる。我々は、集団の中で上に上がることや成長することが「良きこと」であると無意識のうちに刷り込まれている。その先にある全てを照らす啓蒙の光が希望の象徴であると思い込まされている。しかし、僕のように社会に適合できない人間は、ひっそりと暗闇の中で、周りのスピードについていけずに立ち止まることもあるだろう。そこで安らう人間にとって、上記のようなメッセージは煩わしいものでしかない。資本主義を駆動させるためのとても小さな歯車たち。こういうものを無くしていかなければいけないと思う。

日記(23-07-10)

最近は特に何もやる気が起きない日が多い。そういう日は徒に何かをしようとはせずに、ダラダラしている。具体的には何回も見たYouTubeの動画を眺めたりしている。何回も見ているだけあって内容が頭にスッと入ってくる気がする。しかしこれはただの確認作業でしかない。弱った胃腸に与えるおかゆのようなものだ。

寝転がってその辺に転がっている本を手に取り、2〜3ぺージほどパラパラめくってみる。内容が頭に入ってこないので、本をまた床に置く。

最近カレー沢薫発達障害解説エッセイ漫画『なおりはしないが、ましになる』を読んでいる。この漫画曰く、普通の人は床に物を置かない、らしい。この事実には少なからず驚かされた。床に物を置かなければどこに物を置けばいいのか。

一般的には、床に本が溢れているのなら、本棚を増設するなどの対策を講じるのだろう。つまり、床に物を置かないためには、「収納」という概念と上手く付き合っていく必要がある。しかし、「収納」は今の自分の生活パターンの中にはない概念である。自分は自分の生活の範囲内の営為(洗濯や入浴、掃除、皿洗いなど)で既に手一杯であり、そこに新しい行動を付け足すことはできない。「収納」までは手が回らないのが現状だ。自分の許容量を超えた生活パターンは遅かれ早かれ破綻するだろう。つまり、現状の生活に「収納」を導入するためには何かを犠牲にしなければならない。今の自分の生活パターンの中から、何を犠牲にするのかが問題である。

日記(23-07-08)

起きたら23時。流石に時計を二度見する。昨日就寝したのが1時ごろだったはずなので、ほぼ丸一日寝ていたことになる。僕にとっての7月8日は一時間しか残されていない。逆に言えば、この一時間をどう使うかで今日と言う日が決まる。いや、どうあがいても一日をほとんど寝て過ごしたという事実は覆らない。

NASに言わせれば「睡眠は死のいとこ (sleep is the cousin of death)」らしい。NASは眠らずに行動することでHIPHOPゲームの中で上を目指すことを宣言した。彼の言葉に従えば、僕は二日間を死んで過ごしたことになる。

睡眠は資本主義のマネーゲームにとっても排除すべき天敵である。そこでは睡眠の本質は、「明日の労働のための休息」という意味に回収されてしまう。自己目的的な睡眠。睡眠のための睡眠は資本主義においては「死」以外の何物でもないだろう。逆に言えば、労働のための休息として回収されえない睡眠こそが、資本主義を突破するための鍵なのかもしれない。

日記(23-07-07)

今日は6時に起きた。そのまま朝ご飯に、蒟蒻ゼリー(凍らせたもの)を食べる。口の中にジャリジャリ、にゅまにゅまとした食感が広がり楽しい。あまりに楽しいので食べ過ぎてしまう。そのまま急激な眠気が襲ってきて布団に倒れ込む。起きたら17時。まだ慌てる時間じゃない。晩御飯を食べる。ここからまた睡眠。もうどうにでもなれという気分だ。20時半ごろ、腹痛で起きる。朝に蒟蒻ゼリーを食べすぎたからだろう。今日はほとんど寝ていた。まあこういう日もある。疲れていたのだろう。

日記(23-07-05)

カプセルホテルにて6時半ごろ起床。そのまま朝食を食べに行く。焼き魚や味噌汁などが並ぶ、朝食らしい朝食を食べたのは久しぶりかもしれない。朝から健康的なご飯が食べられて嬉しい。

朝風呂。体を洗ってから湯船に浸かる。まだ朝も早いため他のお客さんが少ない。快適。取り敢えずサウナへ。少し早めにサウナから出た後、水風呂(約14℃)と水風呂(約29℃)の冷冷浴。プールほど温度の水の中に体を揺蕩わせながら軽くととのう。その後ミストサウナやフィンランドサウナも利用。

休憩室にて持ってきた本を読もうとする。しかし、リクライニングチェアの上に寝そべった瞬間、本を読もうという気持ちが消失。なにもせずに先程の入浴の余韻に浸る。無為の時間を1時間ほど過ごした。この時点で今日の勝利を確信。

10時ごろチェックアウト。友人とロビーにて合流。そのままヨドバシカメラ梅田店に向かう。途中でコメダ珈琲による(友人の朝食がまだだったため)。何を話したのかはもはや覚えていない。しかし日々交わされる会話のほとんどは忘れ去られる運命にある。

ヨドバシカメラ梅田店に到着。昨日言っていた通り、友人のスマホケースを探す。流石の品揃えで、スマホ周りのアクセサリーがとても充実していた。ここでも友人は悩んだ末スマホケースを買わず。買い物に真剣だと思った。自分ならテキトーに2〜3分で選んだものを買っていたに違いない。

京都へ向かう電車に乗る。お互い疲れているためか(主に僕が疲れている)、会話はすくない。40分ほどで京都駅に到着。目覚ましのためにレッドブルを買って飲む。

京都駅の地下にあるお好み屋さんで昼食。お好み焼きを食べるのは久しぶりで美味しい。お好み焼きを、切り分けて小皿に盛り青のりや鰹節、ソースやマヨネーズをかけて食べる。食に至るための工程が多いため会話が発生しやすい(レッドブル効果でか二人とも少し元気になった)。食事は独特の作法を要求することで、目的への遅延を獲得し、その遅延がコミュニケーションを発生させる(ここで言う「独特の作法」は多くの場合、その場所でのマナーにあたるだろう)。

アップリンク京都へ。『まーごめ180キロ』という映画を見る。お笑いコンビママタルトのボケ担当・大鶴肥満のギャグ「まーごめ」の秘密迫るドキュメンタリーとのこと。大鶴肥満という一人の人間の過去と現在が交錯し、彼のパーソナリティが浮かび上がってくるような内容。笑いどころが多く、常に笑える。ほぼ全編を彼へのインタビューが占めており、大鶴肥満の様々な表情が垣間見られた。こんなに映画館で笑ったのは初めてだと言うくらいに笑った。上映後、放送作家の白武ときお(今作の監督)がサイン会をしに劇場に来ていることを知る(突然決まったことらしい)。僕も物販で『まーごめ180キロ』クリアファイルを買って、そのファイルにサインを貰う。初めての有名人からのサイン。

その後京都駅に戻り、晩御飯に寿司を食べる。お互いに疲れているため、精彩を欠いた会話が繰り広げられる。寿司が美味かった。

その後友人とはお別れ。僕もいそいそと家路に向かう。疲れのため帰宅後割とすぐに寝てしまう。充実した二日間だった。

日記(23-07-04)

なぜか早朝の2時ごろに目が覚める。眠くなる気配がないのでそのまま起き続けることにする。本を読んだり、シャワーを浴びていると、あっという間に6時。いそいそと出かける準備をする。今日は大阪で友人と会う予定がある。夜はそのまま大阪に泊まる。忘れ物がないか少し念入りにチェックする。毎度の事ながら外出時(特に泊まりがけの際)は、どんな本を持っていくかに頭を悩ませる。悩んだ挙句、柄谷行人の『探究Ⅱ』『世界共和国へ』、福尾匠の『眼がスクリーンになるとき』をチョイス。

7時10分ごろ出発の電車に乗り大阪へ。通勤の人混みに紛れながらなんとか席に座ることができた。車窓からぼんやり外を眺める。本を読む気分でもないので、ワイヤレスイヤホンでiPhoneから出力した音楽を聴く。晴れた日の朝に似つかわしい爽やかな曲が聴きたかったのでラッパーのSPARTAの2ndアルバム『Count Your Blessing』を聴く。2020年のリリース以来何回も通して聴いたアルバムだが、未だに色褪せない。3rdアルバムの方も、(こちらはあまり聴き込んでいなかったため)改めて聴いてみたりする。

なんやかんやあって大阪に着く。なんばのタリーズで休憩。ホットドッグを食べ、紅茶を飲みながら一時間ほど読書。9時30分ごろTOHOシネマズなんばに移動する。

映画館で、9時45分上映の『アラビアのロレンス』を観る。映画館で観るのは二回目。IMAXシアターでの上映。70mmフィルムの映像を4kリマスターしているので、大画面でも細部まで鮮明。60年以上前の作品でありながら今日的なテーマを扱った、存在自体が奇跡のような一本。再見によってその思いは強くなるばかり。

映画が終わって14時ごろ、マロリーポークステーキにてポークステーキを食べる。前から行ってみたかった店だが初めて入った。厚切りのジューシーなポークステーキを食す。かなりの満足感。日本人の牛肉信仰はイデオロギーに過ぎないと確信する。京都にも出店して欲しい。その後友人と合流。友人がまだ昼食を食べていないので、クアアイナに行く。友人はアボカドが入ったバーガーを食べていた(他人の食べているものに興味がないので記憶が不明瞭)。自分はその間、コーラをちびちびと飲む。

その後、なんばマルイで開催されている「ぽこピー展」に行く。「ぽこピー」とはYouTubeの「ぽんぽこちゃんねる」で活躍しているVtuber、「ぽんぽこ」と「ピーナッツ君」の二人組のことを指す。会場には二人のVtuber活動に纏わる様々なモノが展示されていた。動画内で使われた小道具などを見ていると、ぽこピーのいる世界と自分のいる世界が確かに繋がっているという実感を得られる。端的に感動した。自分はぽこピーのファンだが、友人はそうではない。よく付き合ってくれたな、と思う。感謝。

ぽこピー展を見た後は友人の買い物のためEDIONへ。友人はスマホを新調したばかりで、新しいスマホケースや保護フィルムが欲しいらしい。保護フィルムは一階にあったものの、スマホケースの品揃えはイマイチ。スマホケースは明日、梅田のヨドバシカメラに行って探す、ということになる。その後、店内を散策。そうこうしている間にお腹が空いてきたので晩御飯にラーメンを食べる。

20時ごろサウナ&カプセルホテル アムザに到着。床に着く前に風呂に入る。体を洗い、軽く湯に浸かる。サウナでアウフグースを体験し、水風呂(約17℃)に浸かる。その後、別の水風呂(約29℃)に浸かる。深くととのう。

温水プールほどの温度の水風呂に浸かっていると、身体の輪郭が水に溶け合っていく。外界と内界の境界線は消滅し、主体と客体の区別はもはや存在しなくなる。プカプカと水に浮き、流されるだけの非人称的な主体へと生成変化する。これがバタイユの言うところの「非-知(= non savoir)」の体験なのだろうか。その後も何度となく水風呂とサウナを往復する。初回のととのいは、これまでのもので一番だったかもしれない。ミストサウナなども堪能した後、浴場から出る。

夜食を食べに食堂に向かう。夜食を食べながら、今日何度目かの(知り合ってからは幾度とも知れない)くだらない会話を交わす。

眠くなってきたので寝室に向かう。

今日は素晴らしい1日だ。

日記(23-07-03)

今日は晴れ。暑い。しかも湿度が高い。蒸し暑い。

ようやく精神科に行くことができた。待合室で本を読みながら名前が呼ばれるのを待つ。20分ほどしたところで名前を呼ばれる。診察室に向かう。診察室では机を介して面と向かって、医者と話をする。毎度の事ながら他人のまなざしを一身に受けながら、自身のことについて話をするのは難しい。(一方で、精神分析は、患者=分析主体を寝椅子に横たわらせ、分析家がその視界に入らない状態で行われる。そのような状態の方が患者は話しやすいから、とのことだ。何かの本で読んだ)。自分は、他人の目を見ながら自身のことを話すことが本当に苦手なので、最近では目を瞑りながら、自分の状況を話している。こうするといくらかは話しやすい。目と目を合わせた「真っ当な」コミュニケーションは、自身の中の「弱み」や「恥」を抑圧する。他人と目を合わせると、診察室の中でも自分が「ちゃんとした人間」であるかのように振る舞ってしまう。他者のまなざしがミクロな規律訓練型の権力を発生させる。

余談だけれど、お金と時間があればいつか精神分析を受けてみたい。しかし、日本にはそもそも分析家の数が少ないらしい。フランスなんかには分析家がたくさんいるらしいけれど。