Mollusk

集積所。

日記(23-07-19)

依然東京。カプセルホテルにて9時ごろ起床。ラウンジにて、オロナミンCを飲みながら朝のニュースを眺める。10時ごろドトールに向かう。朝ご飯にモーニングセットを頼む。アイスコーヒーをちまちま飲みながら、昨日買った『母性という神話』を40ページほど読む。

11時ごろ東京都美術館で開催中のマティス展に向かう。マティスの作品は画集などの図版でしか見たことがなく、イマイチその凄さを理解できていない。以前読んだ岡崎乾二郎の『ルネサンス 経験の条件』に収録されていたマティス論の凄さに引きずられてここまでやって来たのが実際のところ。

マティスというと色彩の画家というイメージが先行していて、その色遣いにばかり注目が行きがちだが、その太い輪郭線の力強さが強く印象に残る作品も多かった。思い切りの良い輪郭線を悠々と侵食していく色彩の自由さ(というか秩序の無さ)も印象的。いくつかの作品では、空間の手前に配置されているモチーフの周囲の背景が塗り残して置いてあるような処理が散見されて、その処理が画面の平面性を際立たせる効果をもたらしているように思えた(三次元的空間処理にはほとんど興味がなさそう)これはよく言われることだが、マティスの作品は、画面内にキャンバスや窓などの、「フレーム内フレーム」的要素がしばしば見られる。こういった理知的な部分があるからこそ、マティスは未だに研究されているのだろうとも思う。あまり期待していなかった彫刻作品がとても良くて、そこで長い時間を過ごす。

展示を見終わった後、ミュージアムショップでユリイカマティス特集号を購入しようとするも販売されておらず。ネットで調べるとすでに絶版らしい。ポストカードを何枚か購入して無念の思いのうちに美術館を後にする。

その後は国立西洋美術館の常設展をダラダラ見ながら時間を潰した。マティス展で体力を使い果たしていたので、もはや作品はちゃんと鑑賞できず。

夜、南インド料理の店で学部時代の先輩と会った。先輩は現在東京に住んでおり、久々の再会になる。先輩と初めて会った時(10年ほど前)の自分が相当捻くれた性格をしていたからか、今でも先輩と話をするときは捻くれた発言が多くなる。研究(やってない)のことや近況、研究室の人間関係のことなども熱心に聞いてくれて、とても話し易い。先輩は、よく食べ物をこぼすから、と言って膝掛けのようなものを使っていた。自分の欠点を認識して、克服のために工夫を凝らすことは、日々の生活を豊かにする上でとても重要なことだと思う。自分も見習わねば。店を出る時、先輩が二人分のご飯代を出してくれる。とてもありがたい。

急に東京に来た自分に会うために、時間を作ってくれる人がいるということは当たり前のことではない。この2日間を過ごしてそう思う。

日記(23-07-18)

前日23時発の夜行バスに乗り東京へ。6時ごろに東京に着く。走行中のバスの中は目を瞑ってやり過ごした。あまりの睡眠不足のためバスターミナルの休憩所で2時間ほど仮眠。とは言うものの5分おきに起きて荷物が手元にあるかどうか確認してしまう。8時半ごろ、人々が行動を開始すると共にようやく行動を開始する。

今日は神保町に行って古本屋巡りをする予定だったが、三田線車両故障による安全確認が発生したため、大手町駅で足止めをくらう。足止めの間、野矢茂樹の『語りえぬものを語る』を読む。所謂、「言語論的転回」以降の哲学のトピックがエッセイ調でわかりやすく解説されている。軽快な文体と裏腹に内容は濃い。50ページほど読み進めた段階で列車がやって来た。列車に乗って神保町に到着。荷物をロッカーに預けて、古本屋巡りを開始する。

帰りの荷物が増えるのを避けるため、基本的には文庫本を中心に狙って古本屋を探索する。ちくま学芸文庫講談社学術文庫岩波文庫(青)あたりの絶版本に的を絞る。松浦寿輝の『エッフェル塔試論』を見つけたものの値段が高過ぎたため購入を断念。ヴァールブルクの『異教的ルネサンス』も同じ理由で購入を断念した。

前々から読みたかったバダンテールの『母性という神話』を購入。バタイユの『文学と悪』、ハイデガーの『芸術作品の根源』も安価で購入できた。ついでにヘルマン・バールの『世紀末ウィーン文化評論集』を買って、探索を切り上げる。古本屋の玉石混淆の本棚からお目当ての本を見つけ出す瞬間の快楽は何物にも代え難い。

ドトールでアイスコーヒーをちびちび飲みながら戦利品に目を通す。うつらうつらして来たところで昔のバイト先の先輩に会うために、上野へ向かう。先輩とは実質一ヶ月ほどしか一緒に働いていなかったけれど、その一ヶ月の間に色々と仕事を教えてもらった恩がある。SNSを通じてお互いの近況は把握し合っていたけれど、実際に会うのは5〜6年ぶり。流石に緊張する。

とは言うものの、会えば会ったでなんとかなるもので、久しぶりの再会に会話が弾んでいく。ガード下の居酒屋で串焼きをつまみながら、昔のバイト先の思い出話や近況を話し合う。二軒目に移った後も、会話は途絶えずひたすらに楽しい時間を過ごした。

たらふく飲んで食べた後は、今日泊まるカプセルホテルまで見送ってもらった。また会いましょう、と約束して別れる。

砂漠に揺蕩うアイデンティティ、あるいは『アラビアのロレンス』について

古典は、しばしば古典であるが故に、実体とイメージとの乖離を引き起こす。古典であることによって人々の間で膨らんだ作品のイメージは、その作品の実体の特殊性を捨象し平板化したものに過ぎない。

アラビアのロレンス(1962)』もそうしたイメージが先行した映画のひとつだと言えるだろう。この映画はしばしば、以下のような文言で紹介される。

アラブ民族独立に尽力した実在のイギリス陸軍将校T・E・ロレンスの波乱に満ちた半生を、「大いなる遺産」の名匠デビッド・リーンが壮大なスケールで描いた不朽の名作。*1

第一次大戦下のアラビア半島を舞台に、英国陸軍将校でありながらアラブ民族の独立闘争を率いたトーマス・エドワード・ロレンスの冒険と、その苦悩と波乱に満ちた生涯を描いた壮大なスペクタクル・ロマン。美しくも過酷な砂漠の描写が圧倒的。*2

The story of T.E. Lawrence, the English officer who successfully united and led the diverse, often warring, Arab tribes during World War I in order to fight the Turks.(第一次世界大戦中、トルコと戦うために、抗争中だった様々なアラブ部族を結束させ導いた、イギリス人将校、T・E・ロレンスの物語)*3

実際は、上記のような紹介文が取りこぼしているものこそが、この映画が描こうとしたものである。典型的な『アラビアのロレンス』に関する紹介文は、劇中で否定される「英雄としてのロレンス」像をなぞったものでしかない。

しばしばこの映画のメインビジュアルとして使用されてきたこの写真も、「英雄としてのロレンス」像を未来の観客に印象付けるだろう。

では、『アラビアのロレンス』は何についての映画なのか。端的に言うと、この映画はロレンスのアイデンティティを、そのクィア性を描いた映画だ。

ロレンスは映画全体を通してイギリスとアラブ、二つの文化の間を揺れ動く存在として描かれる。映画冒頭、彼はカイロのイギリス軍司令部において、およそ軍人らしからぬ人間として描写される。彼の軍服の着こなしの不格好さ、不自然な敬礼や、「男らしくない」喋り方は、彼が変わり者として周囲から浮いた人間であることを観客に印象付ける(周囲の人間の会話からは、実際に彼が「変わり者」であると噂されていることがわかる。)。

軍部の命令の下、ロレンスはアラブの砂漠に向かう。彼はそこでアラブ民族を束ねて、オスマン帝国に対するゲリラ戦を次々と成功させていく。英雄としての「アラビアのロレンス」の誕生である。イギリスにおける変わり者が砂漠において英雄と化す。

ロレンスは砂漠における作戦行動の過程で、徐々にアラブの風習に馴染んでいく。最初は軍服を着ていたロレンスも、アラブ人の仲間に認められることで彼らの民族衣装を身に付ける事を許される。戦友であるアリから「オレンス」というアラブ風の名前を与えられ、彼らの民族衣装に身を包んだ彼は、自身の男性性を確認するかのように股間にある鞘に刺してあったナイフをじっと見つめる。彼はアラブの砂漠において、自身の男性性にアイデンティティを見出したのだ。しかし一方で、砂漠に映る自らの影(=虚像)を見て舞うロレンスの姿は、男性=英雄としての彼のアイデンティティが虚構のものでしかないことを暗示している。

「自身の男性性を確認するかのように股間にある鞘に刺してあったナイフをじっと見つめる」

上記のような舞は、映画の後半でもリフレインされる。オスマン帝国軍の鉄道に爆弾を仕掛けて機関車を爆破したロレンスは、倒壊した列車の上で衣装をたなびかせ太陽を背にして踊るのだ。男性性にアイデンティティを見出したロレンスの、ナルシスティックな全能感に満ちている様子を表すシーンだが、ここでもその全能感が虚構のものでしかないという暗示がなされている。アラブ人たちがロレンスの砂漠に投影された影を追う様子を撮った短いショットが、アラブ人が追い求める、英雄としての「アラビアのロレンス」は虚像に過ぎないことを示している。

「アラブ人たちがロレンスの砂漠に投影された影を追う様を撮った短いショット」

ロレンスの自己神格化は止まるところを知らない。彼は、列車の爆破から生き延びたトルコ人が撃つピストルの弾を避けようとすらしない。まるで、神である自分には弾が当たらない、とでも言うかのように。その姿は、観客に映画冒頭の「砂漠を楽しめる者は、ベドウィンと神だけだ」というセリフを想起させるだろう。ロレンスの自己神格化を描いたシーンはこれだけではない。オスマン帝国占領下のダルアーに偵察のため赴いた彼は、付き人が避けて通る水たまりの上をわざわざ歩いて見せる(ここでは、言うまでもなく水の上を歩いたキリストのイメージが参照されている)。

しかし、偵察に向かったこの地でロレンスはオスマン帝国軍の将校に捉えられ、辱めを受ける事になる。解放されるとともに水たまりの土砂の中に倒れこむロレンスの姿は、前述した水たまりの上を歩く彼の姿と対照的だ。この出来事が大きなきっかけとなり、彼は自分が全能ではないことを悟る。自身の男性性を挫かれる体験は、彼を神から(そして英雄から)ただの人間へと引き戻してしまう。この事件の後、ロレンスは祖国への帰還を強く希望するようになる。

そもそも、ロレンスは軍人らしくない人間として描写されてきた。私生児として生まれたイギリスにも自分の居場所を見つけられず軍人となったロレンスだったが、そこでも変わり者として周囲から浮いてしまう。アラブの砂漠に自身の真のアイデンティティを見出したと思ったのも束の間、現実は彼に自身の「何者でもなさ」を突きつける。

ロレンスのアイデンティティはイギリスとアラブ、二つの空間を行き交い、そのどちらにも限定されることがない。実在のロレンスがホモセクシュアルであったことを鑑みれば、この映画におけるロレンスのアイデンティティの彷徨に彼のクィア性が託されていることは自明だろう(彼は男性性を自らのアイデンティティとして生きることを否定されたという意味で、そしてそれに代わる何かを遂に見つけられなかったという意味で悲劇的な人物である)。この映画の中でロレンスのアイデンティティは、砂漠において手からこぼれ落ちていく砂のように、あらゆる限定から逃れ去る。

この映画に登場する人物は、立場によって様々なロレンス像を抱いている。しかし、彼の複雑なアイデンティティクィア性を理解しているのはアリだけだ。周りがロレンスを英雄視する中で、ただ一人アリだけが等身大のロレンスを見つめている。彼のロレンスに対する感情も非常に曖昧なものとして描かれている(そこには同性愛的な含みさえ感じられる)。

アラブの統一に失敗したロレンスは、失意の中、故郷に帰還する。結局、アラブの砂漠に自らの居場所を求めようとした彼のアイデンティティの探索の試みは失敗に終わる。ロレンスは自らの出自を超えた「何者かに」なることはできなかった。

 

映画冒頭でロレンスはバイクを駆り、田舎道を疾走する。待ち受ける「死」を前にして、ロレンスは彼にまとわりつくあらゆるしがらみから逃れようと、「ここではないどこか」へ行こうとしているかのようにさえ見える。

*1:映画.com「アラビアのロレンス:作品情報」https://eiga.com/movie/42205/

*2:午前十時の映画祭13 デジタルで甦る永遠の名作「「アラビアのロレンス/完全版」上映作品詳細」https://asa10.eiga.com/2023/cinema/1202/

*3:IMDb「Lawrence of Arabia(1962)」https://www.imdb.com/title/tt0056172/

日記(23-07-15)

7年ぶりに友人と会った。顔を合わせていない間も断続的に連絡は取っていた。とはいえ、7年という歳月は人を変えるには充分な期間だ。7年で僕は資本主義を憎むようになり、その憎しみと比例するかのように肉体はぶくぶくと肥え太っていった。友人は記憶の中の姿と寸分違わない姿で目の前に現れた。以前と同じく、しぐさの端々に他者への気遣いが感じられた。以前と同じように、最近観た映画の話などをした。しかし、以前と比べて自分が太り過ぎている。「あの頃と何も変わらないね。」とは言い合えない。なぜなら僕が当時と比べて太り過ぎているから。

夜、別の友人と会った。酒を飲み過ぎて何を話したのか何を聞いたのかあまり覚えていない。別れた後、酩酊状態でiPhoneから出力した音楽を聴きながら家路についた。多幸感に満ちた帰り道。結局、酔っ払った状態で聴く音楽が一番心に染みるんだよ。

ショットの狭間に潜む悪魔

とても優れた映画学者/批評家の加藤幹郎は、その著書、『鏡の迷路』の中で「一本のフィルムをその画面の密度にしたがって記述すること」を試みた。そこでは、「映画史上もっとも密度の低い画面ともっとも密度の高い画面」を標定し、「すべてのフィルムがそこに収まりうるような両極の設定」が試みられている。

密度が低く希薄な映画空間の例として挙げられているのは、雪と氷の戦場、砂丘(白の空間)、夜、雨に濡れた舗道(黒の空間)などのトポスである。特にアントニオーニの『赤い砂漠』における「霧の波止場」を映したショットは、「映画的隠喩」ではなく「無」を表現しているとして、映画史上もっとも密度の低い画面とされている。

一方、高密度の画面の極の例としては、ヴィスコンティの『夏の嵐』における群衆に満ちたオペラハウス(「色彩と形態と運動において官能的な過飽和を迎える」)や、「洪水のあとの部屋」などが挙げられる。

加藤が言うところの「画面の密度」は、端的に画面の情報量(エントロピー)と言い換えることもできるだろう。

当然のことながら、ショットが切り替わることで画面の情報量は変化していく。一本の映画は、個々に情報量の異なる画面の集積である。

この事実に思いを馳せる時、私はいつも、ある空想に囚われる。その空想の中では、ショットとショットの間にある、決して知覚され得ない空隙にマクスウェルの悪魔が潜んでおり、画面のエントロピーを自在に操作している。そこにおいて、映画を観るという行為は、画面の上で彼らのはたらきの痕跡を確かめることに等しい。

いずれにせよ、映画はそのメディアの物質性(=無)を露にすることで終わりを告げる。我々がショットとショットの間に潜む悪魔を垣間見ることは決してない。

速さの外に身を置くこと。

基本的に本を読むという行為は孤独なものだ。本を読む時、人は内省的にならざるを得ない。今、「本」という言葉を使用した。「本」と一口に言っても、現代の日本においてその内実は多岐にわたる。資格試験のための参考書や料理本、ファッション雑誌なども当然「本」である。我々はしばしば、「読書」という営為を想像するときに、上記のようなジャンルに分類される本を読む行為を排除しがちである。その代わりに、「読書」という行為は文学作品や、人文書を読むイメージと結び付いている。そこには「教養」という概念との密接な関わりが存在する。

読書とは教養のために行うものである、というある種のイデオロギーがある。教養とは自己目的的なものである。その立場に立てば、読書という行為自体も自ずから無目的的な意味合いを帯びてくる。この時代においてさえも、「読書とは無目的的なものでなければならない」という幻想は根強いように思える。しかし、上記の「読書」のような生産性の低い行為は遅かれ早かれ人々の生活から淘汰されていくだろう。「教養」は既にほとんど消滅しているし、社会からは無駄がなくなっていく。この点に関して自分は楽観的ではない。

ところで、目的もなしに本を読むという行為は、社会の外で立ち止まることと等しい。自分以外の人の流れを横目で見つつ、足を止めて独りでモノを考えること。「速さ」の外に身を置くこと。そのような時間があって初めて、ヒトは他者に対する想像力を養うことが出来る。しかし現行の社会ではそれは難しい。大多数の人々は、社会の外で立ち止まることさえできないのが現状だ。

当然、速さの外に身を置く人間は周囲の環境から浮いてしまうだろう。時にそのような人々は空気が読めない変わり者として揶揄されるかもしれない。しかし、そのような人々こそが有事の際に正しい判断を下すことができると自分は信じている。決して少なくはない歴史的な事実がそのことを証明しているように思える。

特殊から普遍へ

一ヶ月ほど前、このようなニュースがあった。

www.independent.co.uk記事では、ディズニー社が何の説明もなく『フレンチ・コネクション(1971)』の一部シーンに「検閲」を行い(粗い)編集を施したことが報道されている。問題となるシーンでは、刑事の“ポパイ”が、相棒の”クラウディ”との会話の中で人種差別的なスラングを発している(具体的にはNワード、など)。The Criterion channelや、itunesストアで配信されているバージョンでは上記のシーンが確認できないとのこと。

この事態は日本のSNSでも少し話題になり、ディズニーの歴史修正主義的な態度に批判的な声が集まった。

一方でディズニーは自社制作のCGアニメに過剰なまでの「ローカライズ」を施していることでも知られる。このローカライズの下では、劇中に出てくる看板や広告の文字は、各地域の言語に修正される。観客はそれらをまるで「自国のもののように」鑑賞することができる。

私見では、今回のディズニーの『フレンチ・コネクション』への処置には、自社制作のアニメーションにおける上記のようなローカライズと通底するものがあると思われる。ディズニーは作品の「歴史性」と「地域性」を拒絶している。そして、その根底には、表現から歴史性や地域性を取り除くことで「普遍」に到達しようとする欲望が存在する。

このような態度は極めて浅はかで暴力的ですらある。多くの場合、作品が古典として語り継がれていくのは、その作品が(同時代的に見て)「特殊」なものだったからだろう。突出して特殊なものこそが、後のスタンダードを作り、普遍的なものとして残っていく。半径3メートル以内の言葉で綴られた言葉が、地球の裏側にいる数十年後の誰かの心を動かすこともあるだろう。

 

どのみち我々には、異なる時代の、異なる地域の下で生まれた表現を「異文化」として受容する権利がある。他者への想像力とはそのようなものに触れることで培われていくものでもあるはずだ。

(※この文章は「ポリティカル・コレクトレス」を批判する文脈のものではない。ポリティカル・コレクトネスはしばしば(同時代的に)「特殊」なものを描くことを推進してきた。)